Mへの道
掲示板で私のIDを見てラインくださった男性とお話していて、懐かしい子供の頃を思い出していました。私の子供の頃と言えば、オカマになったきっかけが詰まっている思い出ばかり・・・いまではこんなブスでおデブで熟でお尻のおっきなブタのようになってしまった私ですけど、子供の頃は女の子に間違われるほど可愛かったのよ? www
でも、当時私は、女の子に間違われることが嫌でたまりませんでした。親しい友達からの言葉で嫌な気持ちになることも多かったの。「女みたいだよな?」「ほんとに男かよ?」そんなことを言われるたびに傷ついていましたたし、銭湯で呼び止められて「そっち男湯だよ!」とか、虐められる内容も性的なニュアンスを含むものばかりでした。私、いじめっ子たちにいちいち脱がされていた気がします。
今でも忘れられない、学校のプール裏の小さなスペースで数人の男子に囲まれてのストリップ「2時のヌードショー」は手拍子とヤジを浴びせられながらの「脱げ!」「脱げ!」コール・・・笑いながらも本気を感じる男の瞳に狂気を感じて怖かったし、集団心理のせいか、誰一人それを止める者はいなくて、エスカレートしていきました。私は自らパンツまで脱いで一死纏わぬフルヌードにさせられました。外で、複数の男子に囲まれて一人だけ裸でいることの恥ずかしさと心細さ、悔しさ・・・最後はいつも泣かされてショーは終了しました。
そんなことはまだまだ序の口で、お尻丸出しで壁に手をついて銀玉鉄砲の的にされたり、四つん這にさせられて数人に押さえつけられて、虫眼鏡で集光した光でお尻に火傷させられたり、友人の家のガレージで扉を閉めて、全裸にさせられてホースで思い切り水をかけられて弄ばれたり、泣くまで虐められました。
いつしか私が号泣することが終了の合図だった気がします。泣くと急にみんな優しくなりました。虐められた後に優しくされると、切ないほど涙が込み上げてきます。その感覚がその後私をドMの道へと誘ったのだと思います。虐められる涙と優しくされた時の涙、2種類の涙が混じり合う時、恐ろしいほどの性的な快楽物質が脳を埋め尽くすのです。隷属感というのは支配される抑圧と、相手に身を委ねるといういわば責任の放棄・・抑圧と放棄という相反する感情の隙間に性的な暴力を受けることでその感情はとてつもなく高揚するの。
虐められて泣かされて、泣かされて犯される。そして優しくされる。この飴と鞭を巧妙に使う男の人の前では、私は身も心も捧げて言いなりになってします・・・
ビンタされて、涙ぐむ私にキス・・・乳首を捻り上げ、お尻を鷲掴みにして、いたぶりながら濃厚なキス、、とろけるような飴と鞭の後にあるのは、SとM、雄と雌の引き寄せられる獣の激しい愛の営み、、、腰が抜けるほど、、肛門が擦り切れるほど犯されて、直腸に種付け。。。もう、その人の所有物になる以外の選択肢はありません。